藤子不二雄Ⓐ氏の訃報。

こんばんは。
中々更新できずにすみません…
そうこうしてる間に藤子不二雄Ⓐ先生の訃報に接し、
さすがに何か書きつらなければという事で久々に投稿します。

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藤子不二雄

4月7日に藤子不二雄Ⓐ先生が88歳でお亡くなりになりました。
藤子不二雄Ⓐ先生と言えば
藤子・F・不二雄先生と
藤子不二雄という共同ペンネームで少年誌を中心に活躍された漫画家で
小学館のコロコロコミックは元々
藤子不二雄作品を連載するために生まれた雑誌であったり、
少年誌に絶大な影響を残しました

1987年にコンビが解消されると
これまで合作と思われていた作品が
それぞれ分担して描いていたことを明らかにしましたが、
Ⓐ先生は「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」
「笑ゥせぇるすまん」
などを担当し、
「ドラえもん」「パーマン」など王道な少年漫画を描いたF先生と比較して
ブラックユーモアや大人向けな作品が多い事から「黒い藤子」と呼ばれました。

トキワ荘世代の生き証人

東京を去る前に復元されたトキワ荘を見たいと
コロナでオープンが延期される中、
トキワ荘マンガミュージアム
外観だけ見に行った事を昨日の事のように思い出しますが、
Ⓐ先生は石ノ森章太郎や赤塚不二夫と共に
手塚治虫に憧れて漫画家になったトキワ荘世代の漫画家
彼らが戦後漫画の黎明期を作り上げました。
Ⓐ先生は2年前の2020年に自身がトキワ荘に入居した10月30日、
66年の歳月を経てミュージアムに訪れたそうですが
復元されたトキワ荘を見て何を思ったのでしょうか…?

2013年にやなせたかし先生(享年94歳)、
2015年に水木しげる先生(享年93歳)がお亡くなりになる中で
漫画界の最長老手塚直系の漫画家としてはまさに歴史の生き証人でした。

Ⓐ先生は生涯、盟友であったF先生に感謝し、手塚治虫を敬愛していました。
漫画家漫画の元祖「まんが道」
キリストのように神聖視された手塚治虫もさることながら
漫画家志望者にとってまさにバイブル(聖書)と言える作品だったでしょう。
当サイトは手塚神話からの脱却を謳ってはいますが、(漫茶羅とは?参照)
これは手塚神話の偉大さの裏返しでもあります。
Ⓐ先生が一連の漫画をこの世に残してくれたことで
手塚治虫の影響力を手塚死後以降世代の我々にも伝えてくれています。
今頃、天国でトキワ荘メンバーたちと再会している所でしょうか?
ご冥福をお祈りします。

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