漫画を描いた経験のある人の中でも
子供の頃から落書きの延長でやってた人もいれば、
週刊誌などで漫画を読んで見よう見まねで始めた人もいるでしょう。
私は前者でした。
手塚治虫の「漫画の描き方」という技法書には
漫画は紙と鉛筆さえあれば誰でも描ける
と書いてあります。
これは漫画の定義によって正解であり、間違いでもあります。
丸と線だけで構成された棒人間に吹き出しを付けただけも漫画である
と言われれば誰でも書けるし、
週刊漫画誌などをイメージしていれば一定の技術がなければ難しいでしょう。
恐らくこのブログを読んでる人はプロ作家志望だと思うので、
手塚先生のこの言葉は当てになりません(;^ω^)
ですが、ここでは一旦プロ作家の話から離れて
純粋に漫画を描くという行為そのものの意味から初めて見たいと思います。
なので今回は技術的な話は一切しませんw
漫画との付き合いを読者という形からスタートとした場合は
版権漫画のキャラクターに憧れを持ってイラストなどを描き始めると思いますが、
落書きの延長で描いていた自分としては
まさに紙と筆記用具さえあればできる手軽な遊びだったのです。
元々、運動は苦手だったので室内で遊ぶことになりますが、
当時はまだゲームをする年齢でもなく、
パソコンがまだ一般に普及する前だったので、これに熱中するようになります。
自分の思い通りにプレイヤー(キャラ)を動かして
ストーリーが進んでいくという快感はゲームで得られる以上のものがあります。
どんなに自由度が高いゲームであろうとフォーマットは既に作られたものですが、
漫画を描くと言う行為は何もないゼロの状態から一つの世界を生み出すわけです。
例えるならレゴブロックで遊ぶような感覚が近いかもしれません。
神様の視点に立ち世界を創造するのです。
自分にとって漫画はレゴと同列で遊戯の一つでしかないのです。
デッサンやパース、漫画文法なども無視し放題、自分自身がルールです。
また自分にとって幸運だったのは兄弟という身近な読者の存在でした。
読者の反応が見たいが為に描く、それが漫画を描く原動力です。
プロの作家を目指す人や趣味でやっている人もそれは共通だろうと思います。
誰の目に触れることもなく描き続けるのは
思った以上に大変ですし、もったいない。
漫画はひとり遊びと思われがちですが、実は違う。
一番大切なのは「みんなで遊ぶ」という事だと思います。
今はインターネットもあるので
発表や交流をする場や機会というのは増えてきています。
そういう環境を整備することも
技術力の向上以上に大切なことなんじゃないか?
漫画はコツコツ描き溜めては漫画賞に応募したり、出版社に持ち込みを続けて
最終的に雑誌で連載するというイメージがまだまだ強いですが、
いろんな形があってもいいんじゃないかと思います。
もちろん遊びでお金が貰えるに越したことはないでしょうが、
「漫画」という言葉のとおり、
なんとなし、気の向くままに描くという事があってもいいじゃないですか?
のびのびとストレスなく描けることは素晴らしい事です。
仕事となるならば話は変わってくることもありますが、
根本の部分ではプロもアマも一緒だと思います。
自分はそういう自由な発想を大事にしていきたいと思います。
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