漫茶羅とは?

漫茶羅(まんちゃら)とは作画、作曲、造形の三本柱からなる総合芸術、芸道
漫画やアニメなどのサブカル文化を出発点としつつ、芸術を謳いメインカルチャーを志向する。
従来のサブカルを分解し再構築させた新しいメディア様式。
この漫茶羅の完成を目指すのが当サイトの目的である。

共通のテーマに向かって作画、作曲、造形、各ジャンルからアプローチし、
相互作用して生まれる複合的で重層的な「面白さ」を楽しむ。
作り手と受け手の交流が漫茶羅の大きな特徴であり、
グループ展(個展)テーマ喫茶同人イベントと言った形式に近いが
広い意味でサブカル系サロンの一種である。

漫茶羅の構造

漫茶羅には一次創作、二次創作という従来の区分けはなく、
一次表現者、二次表現者と呼ぶ。
漫茶羅の本質は作画、作曲、造形の三要素の融合である。
この漫茶羅の根幹部分に関わるクリエイターを一次表現者と呼ぶ。
少人数の一次表現者は他ジャンルとの融合に努めて内向きに作品世界を深めていく。
それぞれの重なる部分は二次表現者が大きな役割を担う。
一次表現者が兼任することも可能だが、
外注クリエイターや受け手、ファンダムを有効活用する。
二次表現者は外向きでアクティブ。漫茶羅運動を拡大していくには必要な存在である。

受け手にとって完成された作品として一方通行に受動的に楽しむ従来のコンテンツとは違い、
未完成な部分を能動的に作り上げる事を重視している。
このように漫茶羅はファンダムも含めて成立する参加型メディアであり、
作り手と受け手の立場は平等で、この立場は流動的に入れ替わる。

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目的

①クリエイターにとっての新たなプラットホームを作る。

漫画、アニメ、同人といったサブカル界に表現規制の波が押し寄せ、
インターネット(SNS)や電子端末などの新メディアの登場により、
出版やアニメ、音楽など既存のメディア産業が停滞している現状がある。
この現状で(我々も含めて)日の当たらないクリエイターの受け皿となるべく、
全く新しいメディアを作り上げ、既存メディアの発展的解消を目指す。

②日本人にとっての新時代のライフスタイルを提案する。

現代人に本当に必要な文化的活動とはなにか?
情報過多な現代だからこそ、ゆとりある生活を取り戻す必要がある。
戦後から高度経済成長を経て物質的豊かさを求め続けてきたが、
3.11などの自然災害で一瞬にして崩壊してしまう脆さがあった。
ここで一度日本人の生活様式を見直すべきである。

名称由来

物質的ミニマリズム(データ化)×精神的マキシマリズム

Outdoor Tea Ceremony
わび茶

Taizokai
胎蔵曼荼羅

「わび茶」からくるミニマルな美意識
「曼荼羅(まんだら)」に見るマキシマムな精神世界を足したものである。
元々、千利休の「わび茶」をモデルとしたミニマルな空間を作り出そうという意図から
サブカル版茶道として、わびに代わる新時代の美徳「萌え茶」を考え出すが、
一般的な「萌え」の解釈と隔たりがあり、誤解を生むとの判断から、
単純に漫画から一字を取って「漫茶」(まんちゃ)と命名した。

しかし、漫画喫茶と混同されるおそれがあったため、
最終的に字体が似てる仏教用語の曼荼羅(まんだら)を模した名称になった。
曼荼羅は仏教の難解な教えを一枚の絵で表現した物仏教世界そのものを表す。
空間、時間を含めた総合芸術として漫茶羅の名称はふさわしい。

何故お茶か?

喫茶店(何も考えずに落ち着ける場所)×おもちゃ屋(プラモやフィギュアを眺めて興奮できる場所)

※茶道はあくまでイメージであり、茶道を名乗り、茶道そのものを極める意図はない。

Chashitsu w Uji

茶道(わび茶)は単に美味しいお茶を飲むだけの行為ではなく、
茶道具や床の間に飾られる掛け軸、茶を点てる動作、茶室に響く庭の水音、
その空間、時間の全てが芸術であり、漫茶羅の三位一体思想に通じる。

  • 3時のおやつやアフタヌーンティーのようにライフスタイルとして定着させたいという意図。
  • 地元の京都宇治市が茶の名産地であるため相乗的な効果を狙える。
  • 自分自身が心から落ち着き、楽しいと思えた時間空間を思い出し、具体的な形にするため。

漫ちゃラ

より具体的な内容を現す場合、それぞれ
漫=漫画(作画)、ちゃ=おもちゃ(造形物)、ラ=音階のラ(音楽)を意味し
「漫ちゃラ」と表記することも可能。
漫画のには「緊張を緩和させる」という意味があり、
おもちゃの語源は「もて(ち)あそび」であり「手に持って遊ぶこと」を意味する。
音階のはオーケストラのチューニングに用いられ、
英語ではABCのA、日本語ではイロハのイで「最初の音」であった。
また初のアニソンである「鉄腕アトム」に敬意を表して
谷川俊太郎による歌詞「空を越えて ラララ 星の彼方」を引用する。

漫茶羅構想のモデル

永野護「ファイブスター物語」

ファイブスター物語は漫画作品であるが、単なる漫画ではない。
基本的に架空のSF年表が主軸となっており、そこから切り取って漫画化、映像化がされているが、
そうした作品化さえされていない設定が豊富にあり、それは設定集イラスト集として展開される。
また作者はデザイナー出身でありプラモ製作を趣味とするモデラーでありながら、
学生時代はバンドを組んだりとロックなど音楽の造詣も深い。
数々のレイヤー泣かせのファッションやモデラー泣かせのロボットをデザインし、
コスプレ界ガレージキット界に影響を与え続け、作品のイメージアルバムも自主制作している。
つまり漫画だけではなく、コスプレやガレージキット、音楽など
様々なジャンルで導線を張り巡らし中心には永野護自身がメディアとして存在しているのである。

メディアミックスが進み、ネット時代に突入、まさに現代向けの活動方式であるとも言える。
永野護は漫画界で稀有な存在であり、このメディアを形容する言葉はない
手塚治虫による戦後漫画のように確立されたものでなく、
後続作家のフォロワーが少ないこともあって一部の熱狂的なマニア以外に評価されていない。
漫茶羅は複数人で分業した形でこの構造をさらに整理し、洗練させてジャンルとして確立させる。

手塚治虫のアンチテーゼ

現在の漫画やアニメの源流は手塚治虫である。
しかしながら漫茶羅は手塚死後世代のクリエイターによるメディアとして
従来のサブカル界のメインストリームであった漫画・アニメを生んだ
手塚神話からの脱却を意識している。
週間連載や低予算でのアニメ制作という代償により、
戦後経済成長と共に日本中、
世界中に広がったサブカル文化であったがここに来て限界を迎えている。

アンチ手塚と言えば「劇画」があったが、
その描画手法や作品テーマに特有の特徴はあっても
手塚漫画の土台の上に成り立つというメディア自体には変化がなく、
大友克洋の登場と手塚自身が劇画を内包する形で劇画そのものが死んでしまった。
漫茶羅は根本的な部分で手塚治虫の生みだしたメディアの解体を目指す。

手塚の死後に発達した3Dを活用し、
製作時間や人件費などの手間を省きネットを介して産業を広げていく。
持続可能な創作の場を提供し続けるためにも
従来の生産性を求め続けた消費スタイルによって
手塚本人をはじめ過労により多くのクリエイターが早死にした反省として
漫茶羅はサブスクリプションのビジネスモデルを取る。

ジャンル漫茶羅漫画
構造、表現法設定、図解的表現、三次元ストーリー、映画的表現、二次元
面白さの感じ方情緒的、空気感、心で面白い論理的、スピード感、頭で面白い
作品展開静的動的
思考方法宗教的、民族的科学的、国際的、ニュートラル
業界の広がり横のつながり縦割り
産業拡大の流れ作画、作曲、造形、多方面からの アプローチ(相互往来)漫画→アニメ化(音楽)→グッズ (一方通行)orメディアミックス
従来の漫画・アニメとの比較

漫座の計画

漫座とは漫茶羅専用の劇場やライブハウスを兼ねる総合テーマパーク計画である。
漫茶羅は本来、茶室を模した極めて個人的で小規模な空間で展開されるものであるが、
将来的に参加者が拡大した際には大茶会と称してさらに大きな空間が必要になる。

漫座はそれに答える存在であり漫茶羅普及の拠点になる。
漫画はアニメーション(時間芸術)となりテレビ映画館というメディアで展開した。
漫茶羅は能のような静的な空間芸術を意識しており、
歌舞伎座など日本における伝統的な芝居小屋であるを名乗る。
様々な映画を上映するニュートラルな既存の映画館とは違い
宝塚大劇場AKB48劇場のように特別な空間を作り上げ、漫茶羅のビジュアルイメージを伝える。
これらは必ずしも実店舗型とは限らず、オンラインも視野に入れる。

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