さいとう・たかを氏の訃報

おはようございます。
9月24日、「ゴルゴ13」でお馴染みの漫画家
さいとう・たかをさんが亡くなられました。
6年ほど前にはNHKの「漫勉」に出演されてお元気そうだったのに…

番組内でも言及されていた
「さいとう・たかをはゴルゴ13の目と眉しか描いてない」という噂ですが、
この噂が広まる背景には
さいとう・プロダクションの徹底した分業体制にあります。
実際に放送内でも脚本や構成と人物配置などの大体の構図は描きますが、
ペン入れはゴルゴの面線ぐらいしか描いていませんし、
監督的な立場に終始していた印象です。
これは手塚治虫が築いたアシスタント制度とは全く異なるものです。

ゴルゴ13の最終回は既に描いてあるとの噂もありますが、
結局連載は続けられることとなりました。
作者が亡くなっても連載を続けられるという事は
それだけ分業システムが確立されているという事であり、
リイド社というさいとう・プロダクション専門の出版社もあるため
漫画制作から出版に至るまで
さいとう・たかをの関連会社で完結するという環境も背景にはあるのでしょう。
自らの死を持って完全分業体制を確立したと言えるのかもしれません。


さいとう・たかをと言えば漫画史の中で特筆すべきなのは
手塚を源流とするトキワ荘メンバーらの「漫画」に対抗した
劇画を生み出したことにあります。
これは単にスポ根やハードボイルドなどのジャンルの違いのみならず、
Gペンによる強弱をつけた描線や
ハリウッド映画に影響を受けた構図などの作画技術の違いから
絵と話を分担するという創作スタイルに至るまで
アンチ手塚に徹した運動であり、
一時は漫画自体を劇画と呼ぶようになり、手塚治虫を脅かすほどの存在になりました。

その後、劇画的手法は手塚も含めて業界全体に浸透し、
大友克洋の登場で劇画運動時代の意義が亡くなり、
劇画ブームの収束と共に劇画は漫画の一ジャンルとして定着しました。

分業に対しては様々な批評があります。
確かに多数の書き手によって描かれた描線は
どうしても個人の思い入れが希薄になり、熱量にかけてしまう部分はありますが、
作風に合っていれば大きな問題にはならないでしょう。

元来日本の漫画家というのはかなり特殊なスキルを持った人です。
画家絵を描く才能があればいい、
小説家お話を考える才能があればいい、
しかし漫画家はこの両方の才能を持ち合わす必要があるのです。
そもそも両方秀でた才能などそうそう見つかりませんし、
多くの漫画家志望者が才能の両立に失敗して漫画家になる事を諦めて、
イラストレーターや漫画原作者、シナリオライターに転身するのです。

私が提唱する漫茶羅」構想にも一定の影響を受けていますが、
個々の分野をそれぞれのプロフェッショナルに任せる分業は
ビジネスの観点で見た場合、実は最も理になかった事なのです。
実際にアメリカのコミックはこのような分業が当たり前です。
このような制作スタイルを日本で貫いた
さいとう・たかをとさいとう・プロダクションの存在は
多くのクリエイターにとって救いになったのではないかと思います。

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