経歴⑤大学生時代

京都精華大学アニメーション学科に入学。

入学前までは自暴自棄状態でしたが、
大学という環境で自分の趣味を追求できるという事が面白く、
新たに志を同じくする友人もでき、全体的に楽しく過ごしました。

4年間、アニメーションの技法や歴史を学びました。
動画やCGモデリングなど実技を中心に行われましたが、
アニメーター志望ではなかったので関心はアニメーション史でした。
ここで様々な映像作品を見ることになります。
またマンガ史などマンガ学部共通の授業があり
学問を通して漫画やアニメを知ることが楽しかった。

専任教授の杉井ギサブロー監督をはじめ、
熱中していたガンダムの富野由悠季監督
銀河鉄道999のりんたろう監督など
虫プロ初期から活躍する先生方のお話を聞けたのは貴重な体験でした。

授業がアニメなので創作漫画同好会に所属して
ここで漫画を数点発表しました。
この頃、慣れないつけペンから離れてミリペンを使ったり、
ペンタブを使ってデジ絵も描き始めます。

また友人数人とでコミケに参加する企画があり、
大学時代にコミケ(同人)デビューを果たします。
しかし、初っ端からオリジナル(創作)で、何の宣伝もせず
100部も剃ってほとんど売れないという結果に終わり、
いきなり大量の在庫を抱え、デビューとしては最悪でした(;^ω^)

ここから再び模索期に入ります。
特に絵の方面でかなりナーバスになっていました。
当時世の中はアキバブーム、萌え、空気系の全盛期で、
自分は「ガンダム」「うる星」「ミンキーモモ」などの
80年代のアニメ作品を好んでいたので全く受け付けず、
そのため絵柄も以前旧態の古い絵柄から抜け出せないでいました。
これは画塾の頃から指摘されていましたが、
最新の売れ線要素を自分の『オリジナリティ』を崩さずに
どう取り込んでいくかというのは今に至るまで重要な課題でした。

そして創作活動は二つに分裂した形に変わっていきます。
一方はコミケなどで題材にするヒーローものや魔法少女ものという
ギャグ要素が強いキャッチーな作品群。
もう一方は高校時代から温めていた架空年表を軸にした
シリアスかつオカルト的な作品群(ネタ帳)。

前者は幼少期から続く特撮分野や大学時代に新たに知った
「ミンキーモモ」やぴえろ魔女っ子シリーズの影響を受け、
どちらかというと王道な路線、つまり表面であり、
後者は「エヴァ」や諸星作品に影響を受けたアングラ的な裏面でした。

前者はコミケなどで発表しましたが、
後者は大学時代に永野護「ファイブスター物語」に出会い。
こういう形式にしようという目標ができ、コツコツ進めていたものの
膨大な資料と知識を一つのまとまった形にするのが難しく完成に至る前に、
就職活動の時期に入ってしまいます。

友人たちがアニメーターを目指し、ポートフォリオを制作する中、
自身はアニメに関心はありましたが、
マンガ家にはなりたいと思っても
アニメーターになりたいとは思えません
でした。

漫画はキャラもストーリーも一人で作っていくものですが、
アニメは大人数での集団作業であり、
少なくとも最下層の動画マンは
決められたデザインで描かれた原画を中割する仕事であって
そこにクリエイティブを感じなかったのです。
もちろん動きを追求するのが好きだったり、
絵を描く仕事に就きたいという一点であれば
アニメーターで十分なわけですが、
自分は二次創作も含め他人の絵を描くという行為そのものよりも
創作『オリジナリティ』に重きを置いていました。

ではなぜそもそもアニメーション学科に行ったのか?というと
精華という名前に拘ったのが一番大きかったです。
なぜならこの大学は
小学校時代に読んだ手塚治虫の「漫画の描き方」
日本唯一の漫画科があるとして紹介されており、
存在を知っていたのです。(出版当時は精華短大)
高校受験の際、結局芸術学校を蹴りましたが、
その時でさえ、頭の中には大学は精華大と決めていたのでした。
一方の滑り止めに受けた大阪芸大キャラクター造形学科
小池かずお先生がおり、庵野秀明などのGAINAX(ダイコン)メンバーの出身校であり、
総合芸術大学としても有名で魅力的ではあったのですが、
自宅から通えるという判断もあり精華を選択しました。

大学4回生時、卒業制作をやりながら自動車教習所に通って
就活も行わず、進路が決まらないモヤモヤした日々を過ごします。
普通の漫画家志望者ならそっちのけでマンガ賞に応募したり、
東京に持ち込みに行くなど行動するところですが、
今思うとちょっと学生気分に浮かれ過ぎていたのかなとも思います。

結局、家が商売をしてる関係上で、親しくしている企業にコネ入社します。
これがあったから変に余裕があったと言えますが、
とりあえずニートでいられる状況ではなかったのと
今焦ってマンガ家を目指してもなれるものではないし、
逆に一般企業に入って社会経験を積んだほうが漫画に生かせると思い決断しました。

仕事をやりながら漫画を描いて現地即売会に参加して、
脱サラしてデビューみたいな・・・
しかし見通しが甘かったことをすぐに気付かされます
勤務地はなんと北海道でした(^^;)
どこの企業に入るかは選択できる立場にいませんでした。

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