経歴④高校生時代

高校はあまり良い思い出がありませんw

中学時代の友達は結構別の進路に散り散りになり、
絵が上手い(上手かった)と知っているものはほとんどいなかったし、
入学直前に中耳炎の手術&初入院もあり、
入学時点で患部に包帯巻いた異様な姿で学生証用の写真を撮られ
部活も中学で三年間やっていた吹奏楽から
主に尾崎豊の影響(笑)でギターを始め、
軽音楽の方に興味が移り、軽音部に入部する気でいましたが、
既に数人でバンドを組んでる人ばかりで、単身で入部は難しいと半ば断られたり、
また、相手の一方的な勘違いから高1の時点である傷害事件に巻き込まれ、
高校デビューに完全に失敗・・・
新たに友人を作るということもなくなり、どんどんと欝展開にwww

結果、高校時代は根暗な帰宅部となります。
その分、自由な時間ができましたが、
ギターも長続きせず、絵を描く時間が増えたわけでもありませんでした。

高校時代の創作活動は
ガンダム作品における宇宙世紀のような架空年表を創作する事
に時間の多くを割いていました。
自分史的に見れば
中学時代に無造作に大量に書き溜めたSF宇宙モノを整理する目的です。
当時、松本零士のスターシステムに憧れており、
自分の作品世界を共通の世界設定でやろうと思っており、その下準備でもありました。

そのためには多くの知識が要求されます。
その頃の自分は黒澤映画などの古い映画作品やアニメ、SF小説、
歴史や宗教・哲学、神話、オカルトなど様々な作品や文献を漁りまくったり、
グーグルアースで政府機関や宗教施設、軍事施設などを巡るのを
趣味とする危ない奴でしたが、これも全て上記の目的のためでした。
(結構脱線していたけれどw)

この過程には「新世紀エヴァンゲリオン」諸星大二郎作品の影響があり、
直接的には「古神道」における「日本雛形論」の思想的影響がありました。

物語や作品性などを追求する割に絵への関心は高まりませんでした。
大学受験を控える高校二年の冬から
当時、日本唯一のマンガ学部があると言われた京都精華大学を目指し、
改めて絵の世界に戻るために画塾に通い出します。
ここで同じく絵を志す人たちと出会いますが、
幼稚園時代から築いてきた
人よりも絵が上手いという自信は消え去ります。
ここから基礎のデッサンから漫画の技法に至るまで初めて専門的に教わります。

(作例)

こうした中で、教養を得るために
漫画は鳥山明の「ドラゴンボール」などの王道漫画から
大友克洋の「AKIRA」や「童夢」士郎正宗の「攻殻機動隊」などのニューウェーブ作品
宮崎駿の「風の谷のナウシカ」
アニメはジブリ作品はもちろん、押井守の「パトレイバー」「攻殻」
「AKIRA」「スチームボーイ」など有名どころの作品を一通り見ます。

画塾に通ったのは、たった1年ほどでしたが、
着実に成長して今思えばこの時期がマンガ家に一番近づいていました。
多くの人は出版社に持込をするのでしょうが、
自分はオープンキャンパスなどで大学に持ち込みに行ってましたw

滑り止め目的の大阪芸術大学キャラクター造形学科には
推薦入試で早めに合格しましたが、
京都精華大学ストーリーマンガコースと言えば
「漫画の東大」(京大の方が適切か?)というほどの難関で知られ、
推薦で決まらず、一般入試へ・・・

受験の結果、不合格。倍率36.5でした・・・。
しかも結構際どいラインでの不合格・・・。
結局、次点のアニメーション学科に入学することになります。
合否発表を受け、失意のためどうでもよくなってしまいました。

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