漫画の未来。

漫画家を目指す理由の多くには、好きな絵を仕事にしたいという願望や、
一つの世界を創造することへの快感が含まれているでしょう。
同じ絵を描く職業でも、アニメーターは集団作業が基本であるため、
自ら主導的な立場になるにはキャリアを積む必要があります。
そのため、創造の快感を得にくい。
一方で、漫画家は最初から「映画監督」のような役割を担うことができます。

漫画制作は個人作業が主体であり、
一人の人間が短時間で全創作力を注ぎ、
それを何年にもわたって続けるという特異性があります。
この点で、漫画は他のどの娯楽とも異なる、日本独自の文化といえます。
命がけの作業で生まれる漫画は、
究極の創作物であり完成されたメディアといえるでしょう。

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アニメ≧漫画?

漫画の歴史を振り返ると、アニメーションは漫画の未来であるという見方もできます。
手塚治虫は元々アニメーター志望で、
アニメ制作の資金を集めるために漫画を描き始めました。
映画的手法を取り入れた手塚漫画は業界全体を変えるインパクトがあり、
今に続くストーリー漫画の基礎が生まれた訳ですが、
手塚治虫はやがて虫プロを設立し、「鉄腕アトム」というテレビアニメを制作しました。
漫画とアニメは親和性が高く、
ストーリーマンガはアニメの絵コンテとしての性格を持っていました。


鉄腕アトム 1

日本のリミテッドアニメーションの黎明期は
「テレビまんが」「マンガ映画」と呼ばれ、漫画の方が地位が高かったのです。
しかし、大友克洋「AKIRA」の登場や宮崎駿の活躍などを経て、
アニメは独立した文化へと進化しました。


AKIRA(1) (KCデラックス ヤングマガジン)

手塚治虫がディズニーなどのコミック(アメリカ)の影響を受けたのに対して、
大友克洋はメビウスなどのバンド・デシネ(フランス)の影響を受けて、
その精密なタッチで描かれる圧倒的なデッサン力に裏付けされた
絵柄とコマ運びは漫画に映像を取り込んだと評されました。
大友漫画は手塚以来とも言われる大変革を漫画界に与えましたが、
手塚治虫が生涯マンガ家だったのに対して、
大友克洋は完全にアニメにシフトしていきました。
これはサブカルの主流が漫画からアニメに変わった一例とも取れるのです。

特に近年、新海誠を代表するように
CGやデジタル技術の進歩により、個人でもアニメを制作できる時代が到来しています。
一方、漫画制作では締切の厳しさや作業量の多さから、
アシスタント制度や分業化が進み、
従来の「個人作業」の枠組みが揺らぎ始めています。
また、受け手側では、
漫画は能動的に読む必要があるのに対し、アニメは受動的に視聴できます。
ネットの発達や電子書籍の普及によって漫画雑誌は売れなくなっており、
アニメから入って、グッズとして原作漫画を買うという逆転現象も起きています。
技術の進化でアニメが見やすくなった一方、
若者の中には漫画の読み方がわからないという声もあります。

西洋美術史における写真技術の登場が絵画の衰退を招いたように、
日本の漫画文化もいずれアニメに取って代わられるのではないか——
そんな懸念が浮かび上がります。
しかし、世界中でアニメーションが3DCGに移行する中で
手描きにこだわる日本アニメの姿勢は、
漫画文化の強大さを裏付けているともいえます。

漫画の独自性

出版の衰退の中でも雑誌が顕著なだけで、
コミック単行本などは横ばいに推移しており、

電子書籍も含めれば俄然として漫画は力を持っているので、
西洋画同様に漫画はアニメとは独立したメディアとして、根強く残るとは思います
次からは漫画の生き残りのためのヒントとなるであろう作家を紹介します。

時間芸術×空間芸術「攻殻機動隊」

一つ目は昨年ハリウッドの実写版劇場公開された『Ghost in the Shell』
この原案となった『攻殻機動隊』を描いた士郎正宗です。


攻殻機動隊(1) (ヤングマガジンコミックス)

「Ghost in the Shell」は押井守監督のアニメ映画が世界的にも有名ですが、
原作漫画と大きく雰囲気が変わっています。
アニメはシリアスタッチで難解な映画ですが、漫画はコメディシーンも多い。
これは押井守が8割は原作通り2割を変えるという
特徴的な手法で映画を撮っているからなのですが、
こうした手法は原作ファンには到底受け入れならない部分もあり、
『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』では
原作者の高橋留美子と喧嘩になったとも言われています。
しかし、個人としては押井守の考えには賛同していて、
アニメ版はアニメの良さ、漫画版は漫画の良さがあると思います。

士郎正宗は先述の大友チルドレンの一人でもありますが、
あくまでリアルで冷徹な大友タッチに従来の温かみのある漫画的な要素を加え、
日本漫画特有の立体感のある美少女像を作り上げ、
ハードボイルド一辺倒ではなくコメディ演出を挟むことに成功しています。
この絵柄的特徴は桂正和などに継承されます。

また映画以上にマニアックな設定や知識を隠すばかりか
コマ枠外にこれでもかと注釈を入れ、文章で世界観を補強しています。
コマ枠外の文章80年代の特徴的漫画手法
作者の主観や物語内部やキャラに対するツッコミなど
主にお遊び要素で使われますが、士郎正宗のそれは他の追随を許さない濃度です。

近年は物語に入り込むのを重視するためか少なくなりましたが、
『進撃の巨人』の「現在公開可能な情報」というページがその役割に近いです。
現在二期が公開されているアニメ版でも
原作のイメージを再現するためにアイキャッチ部分で
「現在公開可能な情報」を載せていますが、
ちゃんと文字を見るには画面を止める必要があります。
これは効果的にアニメ化できない漫画の強みであって、
時間芸術と空間芸術のハイブリットである漫画の優位な点だと思います。

コマ枠外の文字をあえて時間芸術に置き換えるなら
オーディオコメンタリーがそれに近いですが、
時間芸術の宿命で作品本編と同時に聞き分けるのは非常に困難
オーディオコメンタリーを見る(聞く)ためにリピートをしなければなりません。
また「お遊び」という側面で言えば当初から視聴者が感知できないことを承知の上で、
一瞬のコマに物語とは無関係なカットやメッセージを入れる演出
80年代後半から90年代にかけて流行しましたが、
サブリミナル効果を狙ったと批判されテレビの規制強化と共に下火になりました。
これも一時停止や録画、巻き戻しやコマ送りが可能になった
ビデオデッキが普及した80年代以降だからこそできるのですが、
いずれにしてもボタンを押す動作が必要になります。

多元的創作の中核としての漫画「ファイブスター物語」


ファイブスター物語 (1) (ニュータイプ100%コミックス)

次は『ファイブスター物語』永野護です。
永野護はアニメ界出身のデザイナーですが、
この作品はさらに大掛かりで設定だけで何冊も本になっており、
漫画だけではなく設定集、ガレージキット、音楽、
ファッション(コスプレ)などが横一列で並んでおり、
これを複合することで重層的な読み方ができるもので、
『ファイブスター物語』もとい『永野護』そのものがメディアとなっています。
こうした内容の濃いコンテンツを生み出すため、作家は遅筆になりがちです。
永野護はアニメ専門誌ニュータイプでの不定期連載ですが
あの週刊少年ジャンプでさえ冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』が
不定期連載を許されているように
読ませる力に加え、深みにはまらせるための情報量を確保するため
これからは月刊誌や単行本時代の再興が起こるかもしれません。

漫画は長きにわたって週一で放送されるテレビアニメに合わせて
週刊誌が中心で、とにかくスピード重視
いかに分かりやすく読ませるかに主眼が置かれましたが、
4クールアニメが減少して、
漫画はテレビアニメとの時間的タイアップが必須条件ではなくなりました。
そして、TwitterなどSNSという新メディアの登場により、
週刊ならぬ日刊で、リアルタイムで出版社を通さず、
作者自身がネットに直接作品を公開する流れも出ています。
こうした場合、更新度は週刊誌以上ですが、
一日という作業時間の問題で一コマないし数ページ程度だったり、
ジャンルもギャグや日常ものだったり、クオリティの面でも制限が出来てしまいます。

週刊誌のスピード路線を継承したウェブコミックと内容重視の紙媒体
漫画業界は二分していくのではないかと予想します。
5分アニメの勃興2クールアニメの増加など
この動きはアニメ業界とも連動していると思います。
読ませる媒体によって内容も演出も変えなくてはならないので、
漫画家志望者にとってもこれは重要な問題なのです。

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