漫画史①手塚以前

漫画家は評論家になってはいけないと常常考えてはいますが、
漫画家志望者として押さえておくべき基礎教養もあると思うので
実践的な漫画技術とは別に
「今や世界に誇る日本文化となった漫画とはなんぞや」という
学びとしての漫画についても書いていきたいと思います。
私自身、漫画の大学を卒業しているわけで
もう漫画は学問として十分に成立してしまうものなのです。

自分が生まれた頃には漫画は身近なものとして既に存在していました。
漫画の歴史は長く、またその定義も様々でありますが、
実体験として絵が上手い=将来漫画家という図式が
当然の如くあったように、高尚な画家とは明確に区別され、
庶民的な大衆文化という共通点があると思います。

日本最古の漫画と呼ばれるのは平安時代の「鳥獣戯画」です。
媒体としては絵巻物ですが、
筆による柔軟な線でいろんな動物たちが擬人化され
中には吹き出しのような漫画的表現手法も既に行われていました。

Chouju sumo2
鳥獣人物戯画

現代漫画の祖手塚治虫である事は日本人の共通認識であり、
学問的にも定説ですが、
手塚自身が鳥獣戯画を高く評価しているように、

何もかも手塚治虫が作ったという訳ではありませんので
鳥獣戯画から手塚漫画に至る系譜を図で作ってみました。

一般的に戦後漫画はアメコミ(アメリカンコミック)の影響が語られますが、
初期の手塚治虫に影響が色濃く現れているだけで、
日本には脈々と漫画文化が生まれるベースがあったのが分かると思います。

もちろん明治維新におけるヨーロッパ的な風刺漫画、
戦後のアメリカ文化など歴史的な文化流入も見逃せませんが、
絵巻物の時点でコマが割られていないだけで
右から左に物語が読むという日本独自の漫画文法が確立されています。

また西洋美術が
遠近法を発明し、輪郭線を描かず陰影を用いて面を表現するなど
リアリズムに進んだのとは反対に
日本美術は写実性を追わず、陰影を描かずに輪郭線を用いる
デフォルメを特徴としており、元々漫画向きであったとも言えます。

しかしながら戦後漫画は戦前漫画と完全に断絶されています。
戦前の漫画家は戦後漫画に戻りませんでした。
むしろ関東大震災以降発達した紙芝居の影響が大きく、
戦後にまず復活したのが『黄金バット』などが人気だった「紙芝居」でした。

その内容と影響力からGHQによる検閲を受け、
紙芝居は自由を求めて「絵物語」へと姿を変えて、
月刊誌に掲載されるようになります。
子供たちはまだ月刊誌を購入する経済的余裕がなかったので
本をレンタルする貸本文化が生まれます。
ここで頭角を現したのが手塚治虫でした。

戦後に出てきた完全な新しいタイプの作家で、
戦後のアメリカナイズを象徴するかのような
ディズニー漫画の影響を受けた絵柄ながら
当時、舞台的なコマ運びの漫画において
アップやズーム、コマの大小を組み合わせることによって
映画的(アニメ的)手法を取り込むことに成功し、
貸本漫画の時代に現代漫画の基本形を完成させます。
読者は絵が動いているという感覚に魅了されます。



完全復刻版 新寶島

当時の漫画は単行本や月刊誌が中心で
表紙に赤系統の色が好んで使われたため赤本と呼ばれていました。
紙芝居、絵物語のルートから水木しげる白土三平
手塚が確立させたストーリー漫画を描き始め、
ディズニー的なファンタジー路線の手塚に対し骨太なシリアスな作風でした。
これは後の「劇画」の誕生に繋がり、
手塚の「漫画」と対抗する巨大な作品群が生まれます。

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