漫茶羅における音楽。

こんばんは。
最近Twitterで音楽紹介の記事公開(URL)のつぶやきを連投していますが、
DTMをやり始めたいという決意もあって
非公開にしている過去記事の音楽関連ジャンルについて
改めて記事内容を修正し公開する作業をする中で
WordPress側のSNS自動投稿の設定が生きているため
公開に変更した段階で自動的に投稿されてしまう仕様です。(;^ω^)

まぁ設定いじれば良いだけなんでしょうけど、
もう10年も前の記事を今更ひっそり公開にしたところで
誰の目にも触れられないなという事でそのままにしている訳です。
それにしても元記事の文章が壊滅的
毎回恥ずかしい思いをしながら修正を加えるのですが、
当時の感覚やニュアンスを完全に消すのも勿体ないなと悩んでいる所です。

音楽の趣向自体はそんなに変わってないとは思うのですが、
DTMを始めるにあたりYouTubeなどで音楽理論を勉強しているので、
今度は「好きなものは好き」という感覚で音楽を語るのではなく
もう少し論理的に見れるようになれば良いなと思いながら編集をしています。

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漫茶羅における音楽の役割

漫茶羅における音楽についてこれまで多くの事は語っていませんが、
基本的には大衆音楽(ポップス)であり、
作画(漫画)や造形(立体物)との共存を掲げているため
アニソンや特ソンの影響を受けるであろう事は確実です。

アニメ文化圏とは無関係の
一般ミュージシャンの新曲のタイアップだらけになってしまった
アニメや特撮の主題歌の歴史に対して
本来的な意味でのアニメソングの復権
漫茶羅というジャンルにおける音楽の目的ではあるのですが、
これは従来のアニメが主で主題歌が従である
という関係を復活させるのではなく
お互いに共通のテーマを描く親和性が最も重要であり、
そこに主従関係はありません。

シティ・ポップブームの二重構造

この部分で大きなヒントになりそうなのが
近年の海外におけるシティ・ポップブーム
そのきっかけとなったヴェイパーウェイヴフューチャー・ファンクと言った
YouTubeなどのSNSを中心とする新時代の音楽ジャンルです。

80年~90年代の大量消費され忘れ去られた商品や技術に対する郷愁
資本主義社会に対する批判がヴェイパーウェイヴの元々のテーマだったのですが、
そのサンプリングネタとして80年代の日本のシティ・ポップが取り上げられ、
2010年頃から今まで聞くことのなかった日本の音楽を
海外の音楽マニアが発見するに至り、
2020年代に入っても人気は衰えずブームは定着しそうな勢いです。

このブームの背景を考えると
元々、80年代の邦楽のレベルが高かったという事もあり、
純粋に音楽性が認められたという部分はあると思いますが、
その導入として考えられる要素は
アニメの海外普及が挙げられると思います。

Mariya Takeuchi - Plastic Love (Night Tempo 100% Pure Remastered)

特にヴェイパーウェイヴのサブジャンルと言えるフューチャー・ファンクの動画では、
そのほとんどが日本のシティポップをサンプリングネタにしており
80年代から90年代のアニメの映像が多用されます。
なのでいわいる海外の日本オタクやアニメオタクがまず食いつくわけですが、
そういったオタクでなくとも
一定の年齢層より下の若い世代は
幼いころから日本産のアニメを見て育っているので、
自国の昔の音楽を聴くより、
フューチャーファンクで流れる80年代のアニメや日本の映像
シティ・ポップの方がよりノスタルジーを感じさせるのです。

漫茶羅はシティポップの音楽的な系譜を継承しようという訳ではなく、
確固たる音楽性を持ちつつ
アニメ映像とのコラボレーションで成功した
という二重構造に注目します。
シティポップとアニメを含めた一昔前の日本の映像は
ノスタルジーを喚起させるという部分で方向性は一致します。

日本的である事も海外で人気の理由ではあると思いますが、
アニメキャラクターという多国籍的なニュートラルな存在
ブームを下支えしていたことは違いありません。
漫画も音楽も世界共通語と呼ばれています。
漫茶羅は今どき国内市場のみを見るつもりはありません。
そしてこの時代もはや日本語は言語障壁となりません。
一つ一つのプロジェクトにおいて作画・造形・音楽の融合、
これをシティポップのように過去の遺産を発掘する楽しさではなく、
リアルタイムで創造していく楽しさを目指したいと思います。

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